苫小牧市(とまこまいし)は、北海道の中南部に位置する市で、胆振総合振興局の管轄地域にあります。広大な市域は東西に39.9 km、南北に23.6 kmにわたり、面積は561.61 km²を占めています。この広い市域の中、特に市街地は東西に広がっており、発展を続けています。
市の北東に位置する樽前山は、溶岩円頂丘を持つ三重式火山で、活動中の火山として知られています。さらに市の東部にはウトナイ湖があり、ここは日本で最初に指定されたバードサンクチュアリです。この地域は国の鳥獣保護区やラムサール条約登録湿地にも指定されており、自然環境が豊かで希少な生態系が保たれています。樽前山周辺一帯は支笏洞爺国立公園に含まれ、美しい自然景観が広がっています。
苫小牧市の人口は16万人を超え、北海道内では札幌市、旭川市、函館市に次ぐ4番目の規模を誇ります。1980年には、当時の胆振支庁(現在の胆振総合振興局)の所在地であった室蘭市の人口を超え、2004年には帯広市も上回りました。さらに、2018年には釧路市をも超え、道内の人口ランキングで4番目に位置する都市となりました。この順位の変動は、1970年以来約48年ぶりのことでした。
苫小牧市の歴史は、1800年(寛政12年)に蝦夷地の警備と開拓のために八王子千人同心が勇払(勇武津)に入植したことに始まります。この入植は苫小牧の礎となり、1873年(明治6年)には開拓使が勇払郡出張所を現在の苫小牧に移転しました。これが苫小牧の開基とされています。もともとは広い地域を占めていた苫小牧村でしたが、数回の分村を経て現在の境域となり、大正7年からは苫小牧町となりました。
苫小牧市は、水資源と木材資源に恵まれた地域として発展してきました。特に、1910年(明治43年)に竣工した王子製紙会社の工場は、苫小牧市の製紙業の発展に大きく寄与しました。その後、石炭の流通を効率化するための「勇払築港論」が提唱され、苫小牧に工業港の必要性が認識されるようになりました。1951年(昭和26年)には港の建設が始まり、1963年(昭和38年)には世界初の内陸掘込港湾となる苫小牧港(西港)が開港しました。1980年(昭和55年)には東港も開港し、現在では札幌都市圏に最も近い太平洋岸の港として重要な役割を果たしています。新千歳空港にも近接しており、その利便性から北海道の工業地域を代表する都市として成長してきました。苫小牧港は、内航取扱貨物量において日本一の取扱量を誇っています。また、苫小牧東部地域(苫東)には、世界最大級の地上タンク方式による石油備蓄施設が設置されています。
苫小牧市は、ホッキ貝(ウバガイ)の漁獲量が日本一であり、2002年(平成14年)には「市の貝」として制定されました。市内の水道水は、厚生省(現・厚生労働省)の「おいしい水研究会」によって「全国の水道水がおいしい都市ベスト32」に選ばれた実績があります。また、1966年(昭和41年)には日本国内で初めて「スポーツ都市宣言」を行い、スポーツを通じた健康づくりとまちづくりにも積極的に取り組んでいます。
苫小牧市の交通網は鉄道、都市間高速バス、国道が整備されており、市内外への移動が便利です。鉄道は市街地を東西に貫き、都市間の広域移動だけでなく市内の移動にも利用されています。都市間高速バスや国道36号などの陸路も充実しており、札幌までは約90分でアクセスできます。国道36号は北海道内の陸路の大動脈とされ、苫小牧を起点に道内主要都市と結ばれています。
スポーツが盛んな苫小牧市では、特にスケートやアイスホッケーが人気です。市内には複数のスケートセンターがあり、子どもから大人まで多くのアイスホッケーチームが活動しています。年間を通じて約600試合が行われるアイスホッケーの拠点でもあります。アジアリーグアイスホッケーに参加しているレッドイーグルス北海道は、苫小牧を本拠地とし、数多くのタイトルを獲得してきました。また、市内の高校もアイスホッケーで優れた成績を収めており、特に駒澤大学附属苫小牧高等学校は全国大会で数々の優勝を誇っています。
苫小牧市はまた、野球でも全国的に知られており、駒大苫小牧高校は2004年と2005年の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で優勝しています。さらに、2005年には国民体育大会と明治神宮野球大会でも優勝し、史上初の三冠を達成しました。市内にはスポーツマスター制度も導入されており、スポーツ選手を講師や指導者として市内の学校やスポーツ団体に招くことが可能です。
このように、苫小牧市は豊かな自然環境と発展した工業、そしてスポーツを通じた地域づくりが特徴の都市です。人口の増加や交通網の発展により、今後もさらなる成長が期待されます。